誇りと奢り

 長年1つの学問や仕事に携わっていれば、その人の中にそれに対しての誇りが生まれるのは当然だし、それは素敵なことだと思うのだけれども、今は誇りを通り越して奢りになっているのではないかと思う人に囲まれているのが息苦しい。
 
 もちろん人が狩猟生活を止めてから、人の役割は個別に持つようになり、各分野のプロフェッショナルな人がその分野の役割を果たしてきたし、それは理にかなったことだと思う。けれどもだからといってそれを奢ってしまうのはどうなんだろうかと思う。
 例えば、哲学のプロフェッショナルな人がある日、農場で集団生活をしなくなってしまったらどうだろう?そこではその人が積み上げてきた哲学への探求は無効で農業のプロフェッショナルな人に一から教えを請わなくては生活できないだろう。別に人類愛を説きたいわけではないけれど、そうやって人は支えながら生きているのだから。

 何が言いたいかというと結局、単に仕事の愚痴。10月から現場から中間管理に職務が変わったのだけれど、そこの上司やおばちゃんのもの言いや当たりがとてつもなくて辛いという話。確かに彼らにも何十年も同じ職場で働き、誇りがあるとは思うのだけれど。

 これは今のTwitterでも同じことを感じてしまっている。人は個人で全ての分野のプロフェッショナルにはなれない。だから極端な言い方をすれば、人は一生無知で、学び続けなければ生きていけないというのが僕の考えで、それを考えたらTwitterで何かを呟くのも物申すマンを見るのも嫌になってしまった。

 薬の量を限界量まで服薬し続けて二年。一向に減らない。来年からは働きながら通信制大学に通う予定。前の大学の単位を換算できるから2年で卒業出来て、54万の学費。今の貯金は100万ちょっと。正直、今の仕事を今すぐにでも辞めたい。でも今までサボってきた分、この位は頑張らないといけないと思う。

言葉と表現

『執筆しない物書きは、狂気を求める怪物です』 ーフランツ・カフカ

 
 言葉というのは矢にもなるし水にもなる。矢となった言葉は本物の矢と違って、突き刺さって一生抜くことができずに傷となる。水になった言葉は大海へとただ流れていく。大衆という海に消える。


 こんなことをいうのはTwitterが苦痛になったからだ。人のツイートもだけど、自分の言葉を延々と垂れ流せるのが嫌になった。その点、今はこのブログになにかを書く方が気持ちがいい。言葉の積み重ねと言葉の羅列は違う。表現にならない。色んな事を学べば学ぶほど言いたいことは増えるけど、Twitterでそれをするのは危険だ。誤解を招きかねないし、人を不快にする可能性だって大きい。だけれどこのブログに書けば、リンクを踏むというめんどくさい作業により、読む人を厳選できる。僕の言葉と表現を読んでくれる人は、僕に興味がある人か暇人だけになる。だから本心を言える。まだ上手くないけれど僕という人間を表現できる。
 だから僕はそれを歌や文章や絵に出来たらいいと思う。そのための言葉を磨く。それをどう思うかは受け取った人次第で、肯定も否定も求めない。僕は職業として表現者になりたいわけではなく、ライフワークとして行いたいのだ。
 
 
 頭の中とTwitterを連結させない。毎日アウトプットする。こんなことを書いてる時点でまだ未熟だ。究極の理想は、音楽と文学と絵だけで僕という人間を表現することなのかもしれないとふと思った。

 今の職場に就職して10ヵ月。謎の昇進をして残業こそ減らないものの、大方の生活サイクルが確立出来る位には仕事にプライベートが侵されることはだいぶ少なくなった。朝6時に起きて、8時に出勤、18時~22時には退勤。帰宅したら嫁と夕食をとって雑談をして、残りの時間は絵と歌の練習、DTMと読書をしてごくたまに友人と通話して4時に寝る。多分今の自分は幸せなんだと思う。昔に比べれば色んなことが改善されて、今のところお金には困っていない。
 
 だけれども、最近自分が何かをするたびに自分の無力無知や過去の過ちを痛感して焦燥感に駆られる。これも多分いいことなんだと思う。自分を過信しないことに繋がっているし、この気持ちが僕のプライベートの行動を決定づける。
 例えば今練習している絵なんかは、酷過ぎてTwitterで客観的に見て恥を晒しているだけだと思う。でもまたペンを握る。上手くなりたいから。
 今作っているアルバム(作詞作曲編曲は一通り完成している)はここ半年の使える限りの時間全てを使って作った。でも自分の才能とはこんなものかと思う。だから次の作品の為にまた楽器とDAWに向き合う。いい曲を書きたいから。
 本を読むたび一冊につき十冊は読みたい本が増える。なんて自分は無知なんだろうと思う、色んな物語を読みたいと思う。だから今日もページをめくる。

 ふとした時に、この終わりのない旅に迷い込んだ僕は「無」になる。「虚無」ではなく「無」だ。これは多分人間が持つ感情で一番危険な感情だ。だから今日も僕は大量の抗うつ剤を飲んで、愛/憎(これは僕にとって永遠の問題だ)について考えながら上記のことをする。

なぜ、人は世界の終わりを求めるのか?

 「神が存在しないならば、私が神である」-ドストエフスキー『悪霊』

 
 「世界の終わり」という題材はしばしば多くの物語を生み、人々を惹きつけます。2018年も「世界の終わり」を題材とした小説が数多く出版されました。好例をいくつか挙げると、ジュブナイル小説と近未来的村社会小説に世界の終わりを組み込んだ、柳瀬みちる『明日、君が花と散っても』、セカイ系を自己の拡大のみならず、他者の視点からも綴った、恒川光太郎『滅びの園』。数世代に渡り、世界の終わりに立ち向かう人間を書いた、山田宗樹『人類滅亡小説』等でしょうか。
 
 僕自身、世界の終わり/終末モノといわれるジャンルに惹かれ続けてきました。何故これほど人間はこの題材を選び、惹かれるのか?長年の僕の疑問に決着がついたので、まとめようと思います。この結論に至ったのには、終末論と予定説、神の代役という概念が大きく絡むのでそこから考察していきたいと思います。


・終末論と予定説
 
 終末論とは簡単に説明すると、世界最後の日に「最後の審判」が行われ、生前に神を信じ善行を積んだ者は天国に、神を信じず悪行を積んだ者は地獄にという多くの宗教の核となっている思想のことです。
 
 反対に予定説とは、カルヴァン主義の根幹を成す生前の行いは関係なく、選ばれた者だけが天国へ、残された者は地獄へ落ちるという、救済はあらかじめ生まれた時から決定しているという思想です。
 
 後者は、両親から受け継がれた能力と生まれ育った環境が人生を左右する、現在の人間社会の状況に似ていますね。前者も、善悪の概念は切り離して考えると資本主義の思想そのものです。そもそも、世界経済はアダム・スミスの『国富論』による終末論に由来した「(神の)見えざる手」によって動かされています。日本は地理的にも歴史的にも宗教とは無縁と思われがちな国ですが、こう考えると日本という国も宗教から多大なる影響を受けているのです。
 
 この二つの思想は一見、相反する思想ですが、今の世界はこの二つの思想が混ざり合い、出生や環境がその後の人生を決定づけるが、最後の審判の日には個人の生き様が評価され、最後には救済が待っているという一つの神話を生み出しています。しかし、その最後の審判とは一体、いつ起こるのでしょうか?今の日本の状況を見ると、小中学校は基礎学力を蓄え、隣人と仲良くすることを、高校ではより良い大学へ入学する為にに勤勉であることを、大学ではより良い企業に就職する為に自分をいかに立派な人間であるか繕うことを、社会人になるとより良い収入、さらには家庭を持ち、立派な子どもを育て上げることを強要されます。このシステムでは、人生に最後の審判の日は時は、死ぬまで(もしかすると死してなお)訪れず、救済は行われません。このことに対する不満や不安や怒り、そもそもの予定説への不堪が、人々が「世界の終わり」を夢見ることに繋がっているのではないでしょうか。
 
 さらに現代では、上級階層は短時間で高額なお金を稼ぎ、その利益で余計な時間を短縮する道具や人を手に入れます、しかしそうではない人は長時間労働でも低賃金しか得られないので、余暇を与えられず貧困が貧困を呼ぶので、時間の平等も、さらに安楽死技術の発達、孤独死の増加、医療格差により死さえも平等ではありません。だから人々は真に平等な「世界の終わり」を望むのです。人々は「世界の終わり」という本来なら救済であったものを、この格差社会の影響から、平等な破滅として認識し始めています。その認識は神を信じ、自爆テロを行う行為にも似ています。しかし、この不平等な社会で生きる人間なら一度はそんな破滅願望を胸に抱いたことがあるのではないでしょうか?その欲望を満たす装置=フィクションとしての「世界の終わり」が人々の心を満たすのです。


 ※この考えでは僕は資本主義に反対しているように書かれていますが、資本主義自体には賛成です。ソ連や中国や北朝鮮の歴史を紐解いていくと、いかに社会主義が巧妙な罠で張り巡らされた社会であるように思うからです。行き過ぎた社会主義は、ジョージ・オーウェル1984年』のようなディストピアを具現化しかねません。また資本主義の否定は「世界の終わり」の根底を覆します。資本主義は、カール・マルクス資本論』によると、資本主義における借金とは「いつか世界が終わるという前提で成り立ち、ただしそれは今日ではない。という思想の連続である」と解釈されています。


・神の代行役
 
 前項では、神の概念の実在を前提に話を進めてきました。しかし神という概念が不在ならばどうであるのか?という疑問が生まれます。事実、日本人は無宗教国家であるのに対して、多くの「世界の終わり」を題材としたフィクションに溢れています。これはどう解釈すればいいのか?これは神という概念の代わりに「空気」といった日本独特の概念が神の代行役を果たしているのです。

 
 「空気」とは「君は場の空気を読めないね」という時に使われる「空気」です。客観的に考えて間違っていることをその場の「空気」に呑まれ正しいと主張してしまうことは日本の日常生活において多々あります。その「空気」とは一体なにか?それは日本人が美点と考える謙虚さ、忍耐、自己主張の否定といった神話が「空気」を作るのです。
 実際に第二次世界大戦においての日本は「空気」に支配された結果であるといえるでしょう。連合国陣営に枢軸国陣営が勝ち目がないのは明らかだったでしょう。しかし、引くに引けなくなった「空気」が日本を愚かな戦争へ導いたのです。その「空気」は軍法会議で無謀な作戦、神風特攻隊を生み、お国の為にと徴兵されそれを祝福しなければなりませんでした。そしてその「空気」を読めない者は弾圧されます。そうなのです。日本人の「空気」を読むとは神を信仰することに等しいのです。そして、その結果が正に「世界の終わり」に導く兵器=世界初の核兵器投下へとつながり、さらには冷戦へと繋がることになったのです。
 
 ならばその「空気」を支配する力を持てば人は、神にも等しい力=「世界の終わり」を導く権限を得ることになります。従って、神という概念をより身近に、神にも等しい力を経験している日本人は「世界の終わり」に一層、敏感になりその力の虜になるのです。


終末の過ごし方

 ここまでが僕の「なぜ、人は世界の終わりを求めるのか?」という解答になります。この項目では「世界の終わり」を簡単に分類し、具体的な作品名を3作ずつ挙げることで本記事の締めとさせて頂きます。このリストを更に細分化し、数を増やすことが僕のライフワークの一つになるでしょう。


・心地の良い「世界の終わり」
 「世界の終わり」という題材を扱った作品の多くがここに分類されるのではないでしょうか。ブライアン・オールディス『十億年の宴』から引用すると"一握りの生存者を除いてばたばたと人が死ぬ絶望的な状況にもかかわらず、主人公ら生存者たちは遠く離れた安全地帯にいて災厄を傍観していたり、無人の都市で残されたぜいたく品をあさるなどある面で楽しい冒険をしたりし、最終的には自分たちの文明観をもとにささやかなコミュニティを再建して、破滅の起こった原因や文明が滅んだ原因に対して達観した立場から考察を加える"という作品群です。

ジョン・ウィンダム『トリフィド時代』

芦奈野ひとしヨコハマ買い出し紀行

萬屋直人『旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。』


・神話としての「世界の終わり」
 僕の本記事で使用した神話という概念は、「空気」すなわち人の無意識下で人を支配する概念のことです。

・『聖書』

ゲーテ神曲

・ミルトン『失楽園


・人類が生まれ変わる階段としての「世界の終わり」
 人類が次のステップに上る為には、一度「世界の終わり」を迎える必要があるという考えのもと描かれる「世界の終わり」です。これはSFと相性が良く多々題材にされます。

・アーサー・C ・クラーク『幼年期の終わり

ブライアン・オールディス『地球の長い午後』

・似鳥航一『この終末、ぼくらは100日だけの恋をする』


・警告としての「世界の終わり」
 核兵器等、行き過ぎた人類の発展や思想が「世界の終わり」を導くという警告が含まれた作品群です。

・ネヴィル・シュート『渚にて

スタンリー・キューブリック博士の異常な愛情

アンドレイ・タルコフスキーサクリファイス


・世界の定義を個人が認識しうる範囲の世界と置き換えた「世界の終わり』
 このジャンルは一種の「セカイ系」と捉えても良いのではないでしょうか。「セカイ系」の定義についてはまた別途書きたいですね。少なくとも東浩紀による定義には疑問を感じています。 

アンナ・カヴァン『氷』

・ケヴィン・ブロックマイヤー『終わりの街の終わり』

・大塚 英志、衣谷 遊『リヴァイアサン


・愛に溢れた「世界の終わり」
 「世界が終わり」が訪れるからこそ、残された時間が僅かであることが確定した為、人間は本当の愛を見つけるというかなり偏った思想に基づく作品群です。でも僕はこの「世界の終わり」を望んでいるし、信じています。

・市川拓司『こんなにも優しい世界の終わり』

・一二三スイ『世界の終わり、素晴らしき日々より』

大槻涼樹終末の過ごし方 -The world is drawing to an W/end-』



・主な参考文献


『聖書新共同訳』日本聖書協会 、1996
宗教多元主義 増補新版』ジョン・ヒック、間瀬啓充訳、法蔵館、2008
『世紀末―神々の終末文書』草野巧、新紀元社、1997
『J・カルヴァン キリスト教綱要』ジャン・カルヴァン 、 久米あつみ訳、教文館、2000
国富論アダム・スミス山岡洋一 訳、日本経済新聞社出版局、2007
『資本主義・社会主義・民主主義』J.A. シュムペーター中山伊知郎訳他、東洋経済新報社、1995
『サピエンス全史』ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳、河出書房新社、2016
ヒトラーの終末予言 側近に語った2039年五島勉祥伝社、2015
『銃・病原菌・鉄』ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰訳、草思社、2000
『憎悪と愛の哲学』大澤真幸KADOKAWA、2017
国家神道と日本人』島蘭進、岩波書店、2010
『世界が終わる夢を見る』亀山郁夫丸善出版、2015
『戦後入門』加藤典洋筑摩書房、2015
『十億年の宴』ブライアン・オールディス浅倉久志訳他、東京創元社、1980





 

僕がバンドを辞めた理由、もうライブをしないと決めた理由、それでも音楽を続ける理由

 皆さんライブハウスは好きですか?インディバンドのライブは好きですか?正直、僕は演者としても聞き手としてもあまり好きではありません。
勿論、素晴らしくて楽しい瞬間も沢山ありました。それでも僕がもうライブ、またそれに付随する文化というものにもうあまり関わりたくないのには理由があります。僕は今、田舎に住んでいて「君は安全圏にいるから言えることだよ」と友人に言われました。その通りです。なので不快な思いをする方がいたらすいません。ただこの文章は純粋に音楽が好きな人間が純粋に書いたまでです。また特定のバンドや人物を指している訳ではありませんのであしからず。

・演者として
 一応それなりにライブはしてきた自負はあります。色んなバンドで、色んなパートで。そこで感じたのは、僕は本当に人前で演奏するのが駄目な人間ということです。
 理由として、まず第一に僕は表舞台に踊り出てよい人間ではありません。精一杯楽器を練習しても、人前に立つと普段通りに演奏出来ないだとか、容姿が整っていないだとかもありますが、根本的に人前に出てはいけない人間です。放送禁止人間です。人前に立った時点で放送事故です。僕が人前に立つとその場が終わります。わかりやすく言うならば、小学生の時に自由研究の発表会みたいな場で、人前で話す機会が誰しもあると思います。そこで頑張ってるのはわかる、でも上手く喋れず、ただ場を凍らせることしか出来ない子が一人はいたはずです。いたたまれない空気を作りだしてしまう、それが僕です。
 第二に僕(ら)の演奏には人様が汗水垂らして稼いだお金や、貴重な時間を頂く程の価値があるのか?と思ってしまうからです。正直、交通費込みで3000円程度、全てのバンドの演奏を聞くとして、時間にして約4時間。僕だったら小説を1冊か2冊買ってそれを読む方が断然いいです。(それぞれの人がそれぞれの楽しみ方をして欲しいということです)
 第三にバンドというのは音楽を作る、演奏するということの他に人柄も問われます。"音楽"だったら無関係かもしれませんが、"バンド"でしたら間違いなく問われます。プロなら話は違うかもしれませんが、アマチュアとしてなら、人間としての最低限の挨拶、感謝、お金のやりとりはもちろん、コミュニケーション能力とカリスマ性が必要です。バンドの演奏を聞きに行く、ということにプラスしてその人たちに会いに行きたいと思わせなければなりません。僕はコミュニケーション能力もカリスマ性もありません。僕にバンドマンとしての付加価値はマイナスです。
 以上のことを考えてしまう時点でバンドで演奏する資格はありません。だから辞めましたし、もう二度としません。それは一緒に演奏してくれる人やライブハウスのスタッフさん、そして何よりも聞いてくれる人に失礼です。侮辱です。

・聞き手として
 同じくそれなりにライブハウスに足を運んできたと思います。それこそ好きなバンドのライブ動画を何回も何回も見てきた人間です。基本的にライブが嫌いな訳ではないです。ただライブハウスの居心地の悪さや情報量の多さは苦手です。せめて椅子を用意して欲しいし、なんなら出入り自由にして欲しい。労働でもないのに狭い空間に4時間閉じ込められるのは拷問に近いです。また人がいない平日のブッキングライブのいたたまれない空気、満員に近いライブハウスの人の多さどんな環境でも苦しいです。僕は部屋の隅でリラックスして好きな音楽を聞くのが一番好きです。だったらよいオーディオ環境を揃えて部屋で一人で聞けばいいのです。それでもライブハウスに通ったのは、正直付き合いや打算もあります。もうそういうことはしたくないです。誤解して欲しくないのは、僕の好きなバンドは、僕の想像以上のモノを与えてくれましたし、ライブハウスでの出会いには感謝してます。でも社会人となり時間の制約が生まれた今、少ない時間を犠牲にしてまで、頻繁に足を運ぼうと思える人間では僕はないです。

 ということでもうライブやそれに深く関わることとは、もうないんだろうなと思います。(もちろんそこで頑張っている友人や好きなバンドは応援していますが)それでも僕は音楽を続けるのは音楽が好きだからですし、バンドと違って、音楽そのもので評価されるからです。人柄やその人がどんなに努力しようが関係ない音で勝負したいからです。凡人の、宅録の限界、新しいスタンダードを提示したい。そして自分の限界を知って、ちゃんと諦めたいからです。落としどころをつけたいのです。10年以上関わってきた音楽と、どう付き合うのかということに。
 
 ここ数年で音楽を取り巻く環境はずいぶん変化しました。ストリーミング配信という存在が現れた以上、もう音楽自体に金銭的価値はないのかもしれません。無料が当たり前、むしろ莫大な音楽を選り取り見取りな今、プロでもバンドでもない自分の作った音楽に時間を割いてくれる方には、逆にお金を払ってもいいと僕は思います。だから僕は新しいやり方でアルバムを発表したいと思います。
 曲は全部出来てあとはベースとボーカル、コーラスを録音してミックスという感じでしょうか。正直、全曲冷静に聞いたら、凡人が頑張ったね~よしよし~えらいえらいみたいな感想しかないです。今のところ。ここからが本当の勝負です。自分の為に、ライブハウス以外でも戦えることを証明する為に頑張ります。

終わりの始まり、或いは失われた始まりの終わり

 あなたは、圧倒的な敗北を、挫折を、屈辱を、劣等感を、無力さを、世界に対しての恨みを感じたことはありますか?むしろ感じたことがない人の方が多いと思います。自分だけが辛い、自分だけが正しい、自分だけが特別だと誰しも思いたいはずです。

 僕は凡人、いや、それ以下の存在でしょう。それは何をやっても上手くいかない自分の不器用さだとか、自分の容姿の醜さゆえでしょう。元々怠惰な性格なのもあるでしょう。世界は残酷でとても明確です。美しいものは正しく、醜いものは間違っているのです。
 僕が幼いときに、父親はある罪を犯し捕まりました。離婚し、母は鬱病になりました。田舎の祖父母の家に住むようになりました。祖父は亭主関白でした。家に僕の居場所はありませんでした。小遣いを与えられない家庭でした。友達と呼べる存在は出来ませんでした。そんな僕が出来ることは図書館に通うことでした。たくさんの冒険をしました。たくさんの仲間に出会いました。たくさんの恋に落ちました。物語だけが僕の救いでした。
 中学生になると、いじめが始まりました。当然のことでしょう。僕は、天然パーマで、ニキビ面で、歯並びが悪く、トロかったのです。醜いことは悪なのです。そのころ祖父母が認知症になり、家庭が崩壊し始めました。当時Youtubeや深夜アニメの台頭によりますます物語とそしてその時出会った音楽にのめり込んでいきました。
 高校生になるとアルバイトが出来るようになります。僕は醜い自分を変えるためにアルバイトを始め、ストレートアイロンを買いました。様々な化粧品を試しました。食事制限をしました。歯科矯正をするためのお金を貯めました。その努力により多少はマシになったのでしょうか。中学時代より遥かに過ごしやすくなりました。しかし他人と関わることが増えると逆に僕と世界に対する断絶を感じるのです。結局僕は、高校3年時は保健室登校で終わりました。家に居たくなかったので、毎日閉店までブックオフか図書館で過ごしました。
 大学生活も同じようなものです。1人暮らしを始め、念願のギターは買えたものの、他人との断絶は広がっていくように感じました。
 そんな僕にも転機が訪れます。決定的な出会いです。For Tracy Hydeの管さん、U-1さん、Boyishの岩澤さんです。彼らのおかげでこんな僕にも仲間が出来ました。たくさんの人、たくさんの音楽、たくさんの天才に出会いました。僕も音楽を作ってみたいと思いました。夜勤のアルバイトをしながら、機材を整え始めました。でも現実は甘くないのです。ゴミみたいな曲しか出来きませんでした。僕は才能がないんだと感じ、裏方に徹することにしました。Boyishにシンセとして管さんのサイドプロジェクトであったTenkiameのギターとしてです。彼らの才能/努力に甘えました。結局、僕はまた諦めてしまったのです。仲間とただ無為な時間を過ごすことに甘えました。馴染めなかった大学はろくに行かずに、学費を稼ぐためのバイトと読書とバンド活動を続ける日々でした。また僕は現実を拒否してしまったのです。
 転機は訪れます。ある人物にお前は努力もしないのになんでモテるのか、死ねばいいのにと言われました。僕自身、容姿にコンプレックスを抱えたままでありましたし、努力をして諦めた上だったのでその一言は突き刺さりました。でも僕の言う努力は偽物でしかなかったのです。(それは過去に記事を書いたのでそちらを参照して下さいむしろこの記事の方が僕の言いたいことの全てです)

blueseagull.hatenablog.com

 
 だから僕はFragile Flowersという音楽ユニットを始めました。何作か作品を出しました。でも僕は長山香奈になれませんでした。凡人のままです。彼女の言う才人にはなれなかったのです。僕はこの2年間何をしていたんだ、自分に吐き気がします。
 それは人の評価によるものでは決してないのです。自分自身が納得できないのです。未だに自分に自信を持てないのです。僕は自信が欲しいのです。過度な自信を持つことは危険なことでありますが、自信を持っている人は輝いています。表情が違います。高校時代の長山香奈と成人後の彼女の顔を見ればわかります。自分の積み上げたものが糧になっているからです。だから人は彼らに惹かれついていくのです。そして物事は上手くいくのです。
 自信をもっている人間というのは、2つの人種に分けられると思います。1つは前述した通り努力した人間です。もう1つは僕が最も憎むべき人種である、神様から与えられたギフトを持っている人間です。そのギフトとは、容姿が良い、裕福な家庭に生まれた、何かしらの才能を与えられることなどです。そのギフトは努力をあざ笑うかののように、踏み潰してしまう力を持つのです。僕はそれがとても許せません。この神様は残酷で、この世界は狂っているのです。別に僕は自分が不幸な人間だとは思いません。ただ怠惰で醜い人間だとは痛感しています。そんな人間ではこの狂った世界では生き延びれません。だから僕は生き残るために努力をするのです。努力し、自信を得たら世界が変わると信じているのです。僕の中の生存本能が僕を突き動かすのです。何人かはそんな僕を馬鹿にしました、何人かはそんな僕を軽蔑しました。何人かは狂っていると言いました。それでもかまいません。僕には努力して才人になった果ての夢があるのです。夢を叶えるには何もない僕には努力する以外にないでしょう。
 僕は長年患っている鬱病不眠症を理由に大学を辞めました。また逃避したのです。誰ひとりとして友人がいない田舎の町で暮らし始めました。高卒で何も資格をもたずに、取柄もない僕が就職した会社は清掃会社です。そこは社会の掃き溜め場所でした。僕みたいな人間が、様々な事情を抱えた人間が、狭いコミュニティでにらみ合っている底の底です。自業自得です。

 ここからが本題です。なぜ僕はFragile Flowersで才人になれなかったのか?それは努力が足りないこと、そして人に頼った部分も大きいからです。だから僕はメンバーを全員クビにしました。本当に身勝手な行いです。だけど僕はそこまでしてでも才人になりたいのです。申し訳ないことをしたと思っています。ただ懺悔の気持ちはあっても後悔はしていません。たった1人で精神的地下=正解のない暗闇に沈んでいくのです。歴代の僕の尊敬する作家たちも同じような発言をしています。
 1人になったFragile Flowers=僕はどんな努力も惜しみません。ここで内容を書くのは止めておきます。完成したときに言えばいいのです。僕は口先だけの人間は嫌いです。それは過去の僕でもあります。僕は過去を乗り越え、前に進むために努力するのです。誰にも届かない歌を唄うのです。僕には誰よりも物語を愛してる自負だけはあります。口先だけじゃない。それを形にするのです。辛いときに寄り添ってくれた物語の為に歌うのです。僕にしか作れないものがあると信じて努力するのです。僕だけがセカイなのです。
 具体的な形とは才能も技術も声質にも恵まれない僕が全て作詞作曲編曲演奏するアルバムを作ることと、僕が触れてきた膨大な物語から得たものを還元することです。すでに6曲できました。誰に何を言われようが僕だけにしか作れない曲です。全てを終えた時、僕はどうなるのでしょうか。きっと生まれ変われると信じています。怠惰で醜い人間から、醜い人間に。それ以上は望みません。評価なんてされなくていいのです。誰かに貶されようがかまわないのです。圧倒的な努力を出来た才人にはそんなもの関係ないのです。僕は一生音楽を続ようとは思いません。他にもやりたいこと、夢がたくさんあるのです。そして出来る限り努力して自分の手で幸福を掴みとりたいのです。だから文字通り終わらせるための音楽を作ります。
 2019年にはなんらかの形で世に送り出します。僕が尊敬してやまない人にミックス/プロデュースを依頼しています。(そこは1人じゃないのかよと思わないで下さい。その人は僕の長年の憧れ、そして最も畏怖する努力する天才なのです)そして願うなら、その時誰か1人でもかまわないので、僕がその人にとっての長山香奈になれたらと思います。

 僕の考えや音楽を軽蔑する人もいるでしょう。批判する人もいるでしょう。かまいません。それが正論であれば受け入れ、改善する努力をしますし、的外れや価値観が違うものだと感じたら受け流します。適当に謝ってその場を収めます。それが大人になるということじゃないでしょうか。僕はもう24歳です。いつまでも子供でいたくはありません。

 今後のブログの使い方については、月1ペースで更新できたらと思っています。次回からはこんな重い話ではなく、進捗や機材、おすすめのプラグイン情報や、インスピレーションを受けている物語を紹介できたらなと思っています。

『Asylum Piece』セルフライナーノーツ後編 -約束、帰ってくること。物語の数だけキミを愛すこと。-

 拙作『Asylum Piece』のセルフライナー後編になります。今回は1曲1曲、そして全体として僕が描きたかったことを述べます。結構な文量なので本当にお暇でしたら。

 またセルフライナー前編をSCA-自氏が目を通して頂いたようで、僕の感謝に意が氏に届きとても感激です。

 さて本題、最初に結論から。僕がこのEPでやりたかったことを述べます。

・歌詞について

 僕は、物語を愛してきた、多くの物語に触れてきた、媒体は問わずに。頭も悪いし、才能の欠片も無い僕だけど、これだけは自信を持って言える。数でものを語るのはかっこ悪いけれど、小説なら1000冊は軽く超えているだろうし、アニメも500本、ノベルゲーム、映画、漫画も最低200タイトルは触れてるはずだ。だから1番唄いたかったことはM6の「ラピスラズリ」の"壊れた世界で唄い続け/物語の数だけキミを愛す事"のフレーズが全て。極論を言えば。ただ第2、3のテーマとして付随してきたのが僕が最も美しいと思う、文学作品やノベルゲームからの影響、破滅/死/バッドエンドの瞬間に浮かびあがる美しさ「破滅の美学」、セカイ系/終末モノ諸作からの影響、終わった/または終わりかけの世界における世界との関わり方、「君と僕との逃避行」、そして麻枝准が初期から描いてきた「約束」。だからこのEPは上記4つのワードをいかに別の言葉で表現するか、こねくり回しただけ。だから

 M4「翼とナイフと銃弾」、"夕暮れ染まる世界で僕ら飛べると嘯いた/この世界にさよならを告げよう/君と僕は溶け合いエンドロールへ身を投げた/それが嬉しくて"

 M5「2nd Love,4th Love」、"この世界には無い最終回でも/ハッピーエンドの夢/願って生きるのかい?" 

 M6「ラピスラズリ」、"ブルーがグレーに変わり/孤独な夜が来たなら/優しいリズムと一緒に僕ら逃げ出そう"

 M7「向日葵のジュリア」、"ジュリア、僕は君との「約束」を果たせたよね?/これからは素晴らしき日々が僕らを待っているから…"

の5フレーズで全て言いたかったことは完結している。ただ作詞の手法として初期ART-SCHOOLBURGER NUDSが用いたカットアップを使用して、万華鏡の様に様々な美しい情景を、また悪夢の様に様々な地獄絵図が浮かびあがる詞を書きたかった。これはまだまだ足りない、描ききれなかったと思っている。

 次に「天使」という単語について。フランスの写実主義の画家、ギュスターヴ・クールベは「私は天使を描かない、何故なら見たことがないから」と言ったけれど僕は確かに天使を見たことがある。それは物語中の少女達であったり、現実の女の子だったりする訳だけど。(僕の高校時代ずっと好きだった女の子は確かに僕にとって天使だったし、若かった僕は過剰に彼女を神格化してしまい、お付き合いしても上手くいかなかったのだけれど)だから僕は、このEPで"君"を「天使」と名づけ多用した。天使はいるんだよって。

 最後に「約束」という単語について。そもそも本作を作るきっかけは前編で『サクラノ詩』による所が大きいと触れたが、実はもう一押しがあった。それは『サクラノ詩』を勧めてくれた友人との『サクラノ詩』についての対話だ。そして僕は彼に「自分も作品を作る、あの少年少女達の様に。」と「約束」をした。だから意図的に「約束」という単語を多用したし、ジャケットも麻枝准が脚本を担当した『シャーロット』のビジュアルから引用した。

 

 アニメ『Charlotte』のビジュアルイラストより

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ノベルゲーム『書淫、或いは失われた物語。』より

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・サウンド、アレンジについて

 ただのART-SCHOOLだと言われればそうなんだけど、なぜオルタナの音を選んだというと、上記の描きたかった世界と親和性が高かった、ただそれだけ。今後描きたい世界が変わればサウンドもアレンジもがらりと変えるつもりだし、既に2nd EPは変え始めている。あとは個人的に僕が以前所属していたART-SCHOOLのパロディバンド、Tenkiameという呪いから解放されるため/忌々しき怪物を埋葬するため。フロントマン、管梓氏曰く、「Tenkiameとかいうクソバンドの5倍は良かった」らしいです。やったね。

 

・引用について

 僕は日頃、本を読んで好きなフレーズや、日頃ふと思い浮かんだフレーズをスマホのメモ帳に書いておき、作詞する時にそこから引用しノートに書き出し、さらにその場で僕の言葉にして歌詞を組み立てていくので、どこまでが自分の言葉か引用なのか分からない部分が大きい。僕はそれでいいと思っているけれど。一応覚えている範囲で元ネタは書いてく。とりあえずスペシャルサンクス欄に上げた作家/シナリオライターの作品を各5作位読めば、僕みたいな詞は簡単に書ける。

 

参考

-Novelists,Poets-
阿木慎太郎,秋山瑞人,阿部和重,安部公房,荒木スミシ,江波光則,大江健三郎,大崎善生
神林長平,唐辺葉介,久坂葉子,柴村仁,島田雅彦,関口尚,高橋源一郎,太宰治,飛浩隆
谷川俊太郎,谷崎潤一郎,津原泰水,中沢けい,中島らも,橋本紡,福永武彦,中原中也
本多孝好,舞城王太郎,宮内悠介,村上春樹,村上龍,山尾悠子,山本弘,夢野久作

ジョン・アーヴィング,ボリス・ヴィアン,カート・ヴォネガット,スティーヴ・エリクソン,ポール・オースター,アンナ・カヴァン,イスマイル・カダレ,ダニエル・キイス,マイクル・コニイ,フリオ・コルタサル,ヘンリー・ジェイムス,テオドール・シュトルム,アルトゥル・シュニッツラー,フィリップ・K・ディック,ウラジーミル・ナボコフ,ジェームズ・グレアム・バラード,ウィリアム・S・バロウズ,ジャック・フィニイ,F・スコット・フィッツジェラルド,レイ・ブラッドベリ,リチャード・ブローティガン,ヘルマン・ヘッセ,ジョージ・マクドナルド,ロバート・F・ヤング,アルチュール・ランボー,ジャック・ルーボー,スタニスワフ・レム,ジークフリート・レンツ,ダン・ローズ

-Scenarists-
SCA-自,瀬戸口廉也,深沢豊,麻枝准,元長柾木

 

前置きが長くなってしまった。各曲のライナーを。

1.氷の涯

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イラストの元ネタ

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・歌詞について

 タイトルは夢野久作『氷の涯』、およびアンナ・カヴァン『氷』からの引用。どちらもラストシーンで男女が"終わり"に向けアクセルを踏む話。この曲もそうで、幸福な風景にいつまでも馴染めない君と僕が一緒に氷の涯に身を投げる曲。個人的には1番カットアップの手法が上手くハマった曲だと思っている。1曲目にはこの曲しかないと思った。徐々に盛り上げるアレンジとしても。

 "閉ざされた部屋で鍵穴を通し見る世界は/眩し過ぎて僕の心を窒息させてしまった"というフレーズは持病が悪化して入院した時に、病室からTwitterを通し見た世界への僕の心情。"この世の果てで恋を唄う少女"は今は亡きelfの同名タイトルのSFアドベンチャーゲームから。"何も無い僕も色彩を持てた気がしていた"村上春樹色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』より。"地獄の季節"は同名のランボー散文詩"彼岸花と夕日が行き過ぎてしまうよ"中原中也『盲目の秋 Ⅰ』より。覚えている範囲内の引用はこの位。あとはオタクが好きそうなパワーワードを入れまっくたある意味ずるい曲。ちなみに僕はプロジェクト名もそうで「花」を頻出させるけど、ちゃんと花言葉も考えて書いてる。この曲のアネモネなら「恋の苦しみ」、「見捨てられた」ユリは「純粋、無垢」ヒガンバナは「諦め、苦しみ」。この曲の君と僕は純粋無垢過ぎたため世界から見放された、そのためこの世界に諦めをつけ、さよならをする。

 

・サウンド、アレンジについて

 この曲はAメロのコード進行、ベースライン、ドラムパターンはまんまスピッツの「夜を駆ける」。笑っちゃうくらい。

 

 ただアレンジをもっとノイジーしたかったから、ギターを1番重ねた楽曲。(E-bowを使い擬似フィードバックを6トラック分作り、ノベンバの「Sturm und Drang」のイントロからサンプリングしたノイズがサビ前で鳴ってる)またタイトルの氷が示す通りドライな質感を出すためシンセの音作りはかなりこだわりった。

 サビ2後のブレイクはアートの「Skirt」、「Miss World」を意識したのと、左右で交互にコードをかき鳴らしたり、ダブルチョ-キングするのはBloc Partyが良く使う手法。

  アウトロのピアノとマラカスだけになる部分はアートの「ガラスの墓標」を意識した。またイントロのサンプリングはThe Conet Projectという集団が出したのどこかの国や組織が、遠く離れた異国に潜伏する工作員に向かって送っている乱数放送のエアチェック音源集から引用。元ネタ『氷の涯』は戦争文学の一面もあるのでぴったりだと思い付け足した。

 コーラスは17歳とベルリンの壁の高野さんに依頼した。僕は17歳とベルリンの壁が凄く好きだし、彼女のキュートだけど、どこか冷たさも併せ持つ声が好きだったから。その冷たさがこの曲にマッチすると思ったから。今回のEPで多くの方の女性コーラスを招いたのは、君と僕の「君」がいなくては説得力に欠けると感じたから。様々な「君」を歌い上げて下さった皆さんには感謝しかない。

 

2.マリブの海に花束を

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イラストの元ネタ

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・歌詞について

 タイトルは阿木慎太郎の同名小説から。(正直内容はイマイチ。タイトルは完璧)この曲は、青年が恋人の女性が海に沈んでいくのを、引き止めようとするが、その姿が美し過ぎてただ見つめることしか出来ず、せめてものはなむけに花束を贈る曲。

 全体の影響としては、フリオ・コルタサル『遊戯の終わり』、テオドール・シュトルム『みずうみ』、スタニスワフ・レムソラリス』、ロバート・F・ヤング 『たんぽぽ娘』、中沢けい『海を感じる時』、C’s ware 『蜜柑』、minoriANGEL TYPE』から。Aメロ1は『みずうみ』、『たんぽぽ娘』の描写から。Aメロ2は完璧に麻枝准の諸作からとっていて、"流木/渚/交わした「約束」果たそう"は『CLANNAD』の汐の名前をつけるシーンから。"坂道/登り"は『CLANNAD』の冒頭、及び『智代アフター ~It's a Wonderful Life~』から。"永遠の世界へ向かう"は『ONE ~輝く季節へ~』、"僕は黒い羽を広げ時を超える"は『AIR』から。

 

 ・サウンド、アレンジについて

 この曲はTenkiameの没曲を僕がアレンジし直した曲。この曲をTenkiameのメンバーを再び集めて作り直したのは僕にとって凄く意義のあることだった。

 ギターの刻み、及びドラムパターンはアートの「ローラーコースター」から。

  リードギターのリフはThe Boo Radleys「Lazarus」をこねくり回した。イントロのリフ及びドラムはChapterhouse「Pearl」、For Tracy Hyde「あたたかくて甘い海」、コードの使い方はスピッツの「スパイダー」。

  またこの曲は僕1人じゃ絶対に完成に至らなかった。緒方さんのシンセアレンジ、まゆみさんの何重にも重ねたコーラスの力が大きい。僕も5トラック分コーラスを重ねて最終的に50トラックを超えた1番多重録音した曲。イントロのサンプリングは映画『ベニスに死す』から。

 

・麗しのオルタンス

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イラストの元ネタ

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・歌詞について

 タイトルはジャック・ルーボーの同名小説から。この曲はオルタンスの様に華奢な少女が大人の女性に移り変わっていく中で僕は変わらずに少年のままで、その2人の差が別れを招いてしまう夏の終わりの失恋ソング。珍しく誰も死なない曲笑

 "ガラスの眼を持った鷗"バンプの「ガラスのブルース」"ガラスの眼をした猫は唄うよ"から。"君が夏のパラソルを背にして遠のいていく姿に焦がれた"ジャック・フィニイ 『愛の手紙』より引用。"偽りの朝の幻影"アドルフォ・ビオイ=カサーレス『パウリーナの思い出に』の一節から、"チャイナタウンからの手紙"リチャード・ブローティガン 『チャイナタウンからの葉書』。"この寂びついた世界に愛を込め唄い続けよう"OVERDRIVE 『キラ☆キラ』の名言、「この、くそったれな世界に、精一杯の愛をこめて。」より。またこの一節は歌が下手だけど唄を唄い続けること/誰からも見向きされずとも音楽を作り続けることの決意表明でもある。

 

 ・サウンド、アレンジについて

 この曲はDTMerとして尊敬してる友人、伊38さんのソロプロジェクト、Never Knows Bestの「Sunset Summer」のリフ、コード進行、ドラムパターンを大胆に引用した。原曲を何回も聞いて何回も泣いて救われた。

  リフの音は所持していた鉄琴を売却前に全部の音をサンプリングしておいたので、その音源とエレピの音を混ぜて作った。ループするギターはアートの「あと10秒で」、「SWAN SONG」のループを編集して入れた。またSound Schedule 「ピーターパン・シンドローム」、くるり 「ばらの花」辺りも念頭に入れて作曲した。

 この曲も参加者に救われた曲で17歳とベルリンの壁の鶴田さんはめちゃくちゃ凝ったアレンジをして頂いた。(ミックスで奥に押しやっちゃったけど10トラック近く電子音が入ってるんですよ実は)ギターソロもベースも凄く歌にそった演奏をして頂いて頭が上がらない。そして極めつけのmugcup collection,Kensei Ogata Bandの翠さんのコーラスの力が大きい。僕の描く"オルタンス像"を見事に声で表現して頂いた。詞、メロディ、アレンジ、ミックスのトータルで考えるとこの曲がベストトラックだと思っている。

 

4.翼とナイフと銃弾

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イラストの元ネタ

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・歌詞について

 この曲はEPで始めに完成して、かつ始めて自分が満足出来きた曲であると同時に、"飛べなかった"僕が限界の精神状態で病室のベッドで書き上げた個人的に思い入れが強すぎる曲。実体験と僕が望む終わりを書いた曲。CRAFTWORKさよならを教えて〜comment te dire adieu〜』、Leaf『雫』、『天使のいない12月』、S.M.L『CARNIVAL』、ケロQ素晴らしき日々〜不連続存在〜』、ジャニス『わたしのありか。』、公爵『ジサツのための101の方法』、130cm『僕は天使じゃないよ』等の狂気/自殺を題材にしたノベルゲームと石川達三『青春の蹉跌』、神林長平『抱いて熱く』、久坂葉子『幾度目かの最期』、宮内悠介『ヨハネスブルグの天使たち』、夢野久作『瓶詰地獄』等の破滅系文学から影響が濃く出た曲。正直この路線の歌詞はこれ以上の歌詞は書けない。

天使のいない12月より

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・サウンド、アレンジについて

 アレンジは完全にスピッツの「さらさら」。それ以外に言いようがない笑

 あとはサビのメロディはアートの「夜の子供たち」とバーガーの「不感症」をこねくり回して作った。1番完成までに時間がかかった曲で、最初はガリレオの「青い栞」のリフを引用したり、アルペジオがアートの「プールサイド」だったり無駄にシンセやリードギターを重ねてたけど、詞を何より大事にしたかった曲なので凄くシンプルにすることで落ち着いた。ちなみに意図的に曲時間を死(4:00)にしたしトラック番号も死(4)。

 本当にボロボロの時に作った曲で、録音状態が最悪でボーカルのヒスノイズが凄い出てしまって、一度歌い直したけど、何か雰囲気が異なってしまって、それならばとわざと閉塞感を出すためにヒスノイズを全面に出すミックスをした。コーラスをして頂いたMichiganizedの穂先さんにもわざとヒスノイズを発生させて下さい!って頼んだり無茶振りをして…笑

 

5.2nd Love,4th Love

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 イラストの元ネタ

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・歌詞について

 この曲はハッピーエンドを夢みて生きた君と僕は"この世界線"では幸せになれなくて、一緒に身投げをして次の"世界線"でも再び巡りあって今度は幸せになろうね、それは2回目も、3回目も、4回目も同じだからって曲です。その次の"世界線"へ到るまでの過程を僕は"2nd Love,4th Love"というフレーズのみで片付けちゃって、これは僕の力量不足で未完成の曲。もう一度同じ題材で曲を作りたい。

 この題材は、深沢豊氏の諸作から影響を受けていて、特にForce『2nd LOVE』、『書淫、或いは失われた夢の物語。』からの影響が強い。後は『Angel Beats!』のラストシーンとかotherwise『sense off』。"君の細い足首/青い瞳/白い肌/その匂いその仕草"はアートの斜陽から、"千の天使"中原中也『宿酔』から、"半分の月がのぼる空に消え"橋本紡半分の月がのぼる空』からの引用。

 

・サウンド、アレンジについて

 アートの「TIMELESSTIME」を下地にギターとドラムパターンはFlipper's Guitar「星の彼方へ」(つまりThe Stone Roses「Elephant Stone」、Ocean Colour Scene「Sway」、「Yesterday Today」)ちなみに"2nd Love 4th Love..."のメロディも"Blue Shinin'Quick Star"と同じ。

サビの"1,2,3"の部分はくるりの「WORLD'S END SUPERNOVA」の"1,2,3でバックビート"の部分をこねくり回して作った。イントロは夜明ケマエの「ブルーサンダー」。

 

 この曲は過去シンセで在籍したBoyishの「1990」も意識したのでBoyishの岩澤さんとMav.さんに参加して頂いた。これも過去の亡霊を埋葬するために僕には確実に必要なことだった。

 

6.ラピスラズリ

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元ネタのイラスト

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・歌詞について

 タイトルは山尾悠子の同名小説から。この曲が実質ラストナンバー。最後のフレーズ"物語の数だけキミを愛していた。"を唄う為だけにこれまでの5曲はあったといっても過言じゃない。ちなみにこのフレーズは『書淫、或いは失われた夢の物語。』のキャッチコピー(1番唄いたいことが引用ってどうなんだって気はするけど)この曲でキミとボクはこの世界から逃げ出す。その後の2人の結末は7曲目で書いたつもり。"ボクの「忘れもの」つまり、キミの「落とし物」それは"は深沢豊氏のフリーのノベルゲーム『忘れものと落とし物』より。"プールの底に眠るメロディだったよ"は白河三兎『プールの底に眠る』から。

 

・サウンド、アレンジについて

完全にアートの「SWAN DIVE」。

そのアートの「SWAN DIVE」をパクったphyxmomentの「ruby sparks」(こちらの方が曲展開が巧み)を合体させただけ笑

 この曲も参加者に救われた曲で、nayutanayutaのwataruさんの優しいシンセアレンジとまゆみさんの優しく包み込む様なコーラスワークに救われた。ちなみにイントロの雨の音はTactics『ONE ~輝く季節へ~』からのサンプリング、最後のねじを回す音はCLANNADからサンプリングした。

 また夜に溶けていく閉塞的な雰囲気を出したかったので、ボーカルを意図的に篭らせるために、この曲だけポップガードを用いずにハンドマイクで録った。よく聞くとボーカルの質感がこの曲だけ違う。

 

・リリース形式について

 今回のEPは「True End盤」と「Bad End盤」が存在する。それは始めから考えていた訳じゃなくて、6曲のデモが完成した段階で、ミックスをするのに腰が重くてギターを触ってたら、とても明るい曲と、とても暗い曲が1日で書けた。どっちも収録するのには浮いてしまうし、それならば僕の大好きなノベルゲームになぞって"終わり"が異なる盤を出そう!って思ったのが始まり。最終的に自分ではネットの無料配信でしか出来ない面白い形式だったと思っている。ちなみに2曲は完全に対になっていて、「向日葵のジュリア」はキーがD、「愛とバズーカ」はキーがBmで平行調になっているしタイトルの元ネタはアンナ・カヴァンの『ジュリアとバズーカ』からとった。これも元ネタが分かる人には面白いのではと思ってる。(はているのか)

 

7.向日葵のジュリア

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イラストの元ネタ

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・歌詞について

 この曲は「ラピスラズリ」で逃げ出した2人が自分達の居場所(つまり魔法の国/向日葵畑)を見つけ幸せな結末を迎えた様子を描いた曲。"彗星/待ちわびてあの丘で再会した"はアニメCharlotteから。"ジュリア、僕は君との「約束」を果たせたよね?/これからは素晴らしき日々が僕らを待っているから…"の前半部分は僕に約束を与えてくれた友人に捧げた歌詞。後半はケロQ素晴らしき日々〜不連続存在〜』から。

 

・サウンド、アレンジについて

 アートの「Supernova」を下地にドラムパターン、サビのメロディはバンプの「flyby」。

 

  アレンジは1番アートっぽいアレンジでサビ以外はウワモノは全部Dadd9。またピアノの音はバンプも良く使う8分付点ディレイで飛ばした。最後の「向日葵畑で待ってる」の音声はあかべぇそふとつぅ『車輪の国向日葵の少女』からのサンプリング。シンセアレンジはやっと見つけた居場所/幸せも儚く壊れやすいものであると思っているから意図的にチープな音を作った。その幸せの脆さを音で示すために。

 

7.愛とバズーカ

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イラストの元ネタ

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・歌詞について

 この曲は「ラピスラズリ」で逃げ出した2人が幸せになれなかった様子を描いた曲。君が狂っていく、僕はその前で無力でしかなかった。『最終兵器彼女』のバッドエンドみたいな状況を書きたかった。"僕の孤独の価値は君の退屈より安い"Nav Katze「レディ・トゥ・ゴー」の一節"退屈を買いに行こう/君の愛と同じ値段"から。"救ってくれた君と一瞬の嘘への溺愛"セカイ系諸作に関しての僕の感想。"君が後部座席から飛ぶのを見つめていた"ジョン・アーヴィングの「ガープの世界」より。本当に陰湿で救いの無い歌詞が書けたと思う。陰湿過ぎてミックス時にめちゃくちゃメンタルがやられた笑

 

・サウンド、アレンジについて

 アートの「Sonnet」のコード進行を引用。シンセはアートの「memento mori」を意識した。この曲は一種の緊張感と生々しさを出したかったのでボーカルのピッチ補正はファルセット部分以外は全くしなかったし、全楽器一発録りで補正等も一切なし。アコギのマイク録りも普通ありえないようなマイキングで録音した。ループするサンプリング音声は前述のThe Conet Projectから。間奏と終わりに挿入される音声は映画『スローターハウス5』からのサンプリング。

 

 以上が全曲解説です。結論は最初に述べたのでこれにて『Asylum Piece』のセルフライナーは終わりです。お付き合い頂きありがとうございました。最後にEPの参加者"15SOULS"の皆さん、素敵なイラストを描いて頂いた片山さん、拙作にライナーを書いて頂いた3名に多大な感謝を。参加者全員は音楽的にも、人間的にも信頼しているから依頼をしましたので、願わくば彼らの活動も気にかけて頂けると幸いです。

 

・今後について

 実は2nd EPの曲は全てもう出来ていて、2ndはカットアップ/引用を封印したら自分はどんな事を書くのだろうと力を抜いて6曲歌詞を書きました。そうすると浮かんできたのは、「喪失と再生」「日常における小さな幸せ」「変わってしまうモノ/変わらないモノ」と自分が影響を受けてきた事柄がそのまま浮かび上がって、だからアレンジも割りとシンプルなギターポップ/シンセポップな作品になりそうです。

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 1stAlbumは『Asylum Piece -AIR/君を壊してしまう前に- 』と題して今回の6曲に7曲を加えて1つの作品とするつもりです。今回のカットアップ路線で描けなかった/やり残したことを全部ぶちまけるつもりですし、もっと残酷に暴力的に再構築するつもりです。こちらは記念に少量プレス出来たらなあと。こちらも3曲既に出来ていて、また外部のサポートミュージシャンもまた数名お招きする予定ですので、気にかけて頂けると幸いです。歌が絶望的に下手なのでピッチ補正とミックス込みで完成は両作とも春過ぎに完成を目指しています。

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・おまけ

 僕は脳内作曲が出来ないのでギターは最初に全部tab譜に起こすので、全曲tab譜があります。誰も興味が無いかと思いますが、おまけとしてここに貼って置きます。一切難しいことはしていないし、僕がどれだけコードの引き出しが少ないかわかります笑これで君もFragile Flowersになれる!笑めちゃくちゃお暇でしたらどうぞ。Tux Guitarというフリーのソフトで開くことが出来ます。 

 最後までお付き合い頂きありがとうございました。今回のライナーを書くためにリリースぶりにEPを聞き返したんですが、ミックスの粗が凄い気になったり、録り音の悪さが気になり、めちゃくちゃ凹みました笑精進します。また次の"物語"を描くために頑張ろうと思います。