終末の歩き方

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 アルバムを出しました。そのアルバムについての雑記です。
 聞いてくれる人がいたならアルバム単位で聞いて欲しいなということと、物語仕掛けで歌詞を書きたかったので、連作短篇集みたいな作品に出来ればいいなと思って作りました。
 終末の世界で、少年と少女が出会い、時代も場所もこえて旅をして、様々な終末の形を見送る、ありがちな題材を選びました。言いたいことはだいたい言えたので、各曲一言ずつと今回アルバムを作るにあたって読み返したり、手を伸ばした書籍を並べておきます。

1.少年は亡霊の街を巡る
 無気力に生きていた少年が終わりに向かう世界で、運命の出会いを果たす......。という導入の曲です。
 打ち込み楽器が多かったので、無機質にならないようにパーカッションもタンバリン、シェイカー、トライアングル、コンガと生で録音しました。

2.少女は終末の夢を見る
 tr1で出会う孤独な少女の曲です。

3.マリオネットは箱庭で歌う
 タイトルはProject Freyaの同名ノベルゲームから。小品ですが中々の良作です。
 壊れかけた機械の少女が終わる世界に愛を込めて歌う曲です。一番最初に作った曲でリードトラック的なつもりでした。トラック数も72トラックありました。方向が決まるまでミックスに苦労しました。
 トイピアノカリンバとかも無駄に生で録音しています。

4.地の果て 至上の時
 タイトルは中上健次の同名小説から。特に内容に関係はありません。余談ですが氏の血筋の呪い、サーガ的世界は凄く好きなので、音楽に限らずどこかで追及していきたいです。
 曲の内容は僕がFragile Flowersで突き詰めていった、セカイ系的な歌詞の総決算だと思っています。メロも今作で一番いいのでは。Cメロからの歌詞は中原中也の「別離」を意識しました。
 こう考えると、文学作品といわれる作品とセカイ系の表現はどこかで繋がっているのかもしれません。

5.星々の海をこえて
 タイトルはグレゴリー・ベンフォードの同名小説から。これも内容は関係ありません。小説のほうもいかにもB級SFなのですが、響きがよかったので。
 ありがちな彗星があとx日で地球に衝突して人類が滅びるという内容です。今回のアルバムの表現は、ありがちで愚直な表現を恐れないという意思を貫きました。
 轟音と電子音で引き裂かれる恋人たちを表現できていたら嬉しいです。

6.水の中の八月
 タイトルは石井岳龍監督の同名映画から。世紀末の雰囲気を匂わせつつ、青春映画としても秀逸な映像が美しい、セカイ系的良作です。
 ノストラダムスの大予言があたり、恐怖の大魔王により世界が水没するという曲です。深いリバーブがかかったギターやテンポディレイを使って水の中に沈んでいく二人を表現しました。

7.天国の日々
 タイトルはテレンス・マリック監督の同名映画から。氏の作品も大好きで、世界観も素晴らしいです。
 世界が終わるからこそ、未来にも過去にも縛られずに生きられるという曲です。Aメロは、カットアップ的手法で歌詞を書きました。

8.灰瞳に機す
 タイトルはお茶みどりの同名ノベルゲームから。同人作品ならではの拙くも熱量たっぷりの、大好きな作品です。選択肢が一つしかないというのもポイント。
 ダークアンビエントポエトリーリーディングの繋ぎ的な立ち位置ですが、とても気に入っている曲です。内容は右か、左かを選べという極端な思想の曲ですが、言いたいことは逆で、極端な思想は世界を滅ぼすというつもりで作りました。実際、今の世界は多数の意見が共存することより、真っ二つに世界を線引きしているように思えてなりません。それはとても危険なことのように思えるのです。

9.遺伝子は崩壊の序曲を奏でる
 遺伝子操作による人類の末路の一つを描いた曲です。意欲作のつもりです。
 この曲の表現は大袈裟ではなく、実際にクリスパーという技術を用いて、狙った遺伝子を改変したり、産まれてくる子どもを強化可能な段階まできているのです。
 実際に中国では、遺伝子操作を施したエイズにかからないとされる子どもが産まれています。マンモスの復活や毒ガスを放つ昆虫、生物兵器としてゲノム編集の技術がくるかもしれません。
 病気の原因となる遺伝子を操作するに留まらず、劣った性質を持つ遺伝子を排除し、優れた性質を持つ子どもだけが産まれる時代がくるかもしれません。しかし、その優劣の線引きはどこで引かれるのか?ナチズム的優生学の復活にならないのか?遺伝子の編集はどこまで許されるのか?シンギュラリティが約20年後に迫った今、遠い未来の話ではないのです。
 アレンジもツインドラムで、ボーカルとドラムを歪ませ、45トラックあるのでとても苦労しましたがとても気に入っている曲です。

10.電気羊は楽園で殺戮を始める
 電気羊=AIと宗教的天国の話です。宗教というものは矛盾だらけで(宗教そのものは否定しません)、AIが人間の頭脳を越えた時にどのように対応するのでしょうね。この曲のように宗教を排除するのかそれとも......。

11.天使は廃園で祈りを捧げる
 支配者たちの行き過ぎた政治の末路とキリスト教的終末、人間の醜悪な部分と神の無慈悲な部分を描いた曲です。千年王国の民に選ばれなかった少年と少女は終わりなき冬を過ごすことになります。

12.渡り鳥は氷河の国で眠る
 渡り鳥=少年と少女です。二人の旅の終点です。そして二人が得たものの答え合わせです。
 このアルバムの曲の大半は、ベースにルートとコード感を任せ、ウワモノはワンコードで突き進むアレンジで、この曲も該当するのですが、この曲は、計7trのリズムと構成音の違うアルペジオを弾いていて独特の浮遊感を出せたと思っているので気に入っています。

13.終末の過ごし方
 タイトルはアボガドパワーズによる同名のエロゲから。終末における素朴で繊細な少年少女の心境を描いたとても好きな作品です。
 最後の歌詞が全てです。小説において最後の一文に説得力を持たせるために、展開を構築する作品が大好きなのでそれにならいました。

あとがき
 今回のアルバム制作で色々機材を揃えたり、ミックス技術の向上だったり、楽器を練習したので、表現の幅が広がりましたが、やはり自分が完全に納得できる作品が出来なかったので、最低もう一枚ずつEPとアルバムは作りたいなと思っています。EPは『SWAN SONG(4 YOU)』というタイトルでシンセの割合を減らした、また違った表現をした作品を。アルバムは二枚組で、今回の表現を更に突き詰めた、一枚目と二枚目で相対する詩と音楽を徹底的に突き詰めた作品『Antinomy』というアルバムを作ろうと思います。28歳になるまでに、遺作になっても悔いの残らないように頑張りたいです。

インスパイアされた書籍一覧

国内小説
藍内友紀(2018)『星を墜とすボクに降る、ましろの雨』早川書房.
秋山瑞人(2001)『イリヤの空、UFOの夏 その1』KADOKAWA.
秋山瑞人(2001)『イリヤの空、UFOの夏 その2』KADOKAWA.
秋山瑞人(2002)『イリヤの空、UFOの夏 その3』KADOKAWA.
秋山瑞人(2003)『イリヤの空、UFOの夏 その4』KADOKAWA.
伊坂幸太郎(2006)『終末のフール』集英社.
市川拓司(2013)『こんなにも優しい世界の終わり方』小学館.
伊藤計劃(2007)『虐殺器官早川書房.
伊藤計劃(2008)『ハーモニー』早川書房.
海猫沢めろん(2014)『左巻キ式ラストリゾート』講談社.
江波光則(2015)『我もまたアルカディアにあり』早川書房.
葛西伸哉(2004)『世界が終わる場所へ君をつれていく』メディアファクトリー.
粕谷知世(2011)『終わり続ける世界のなかで』新潮社.
佐藤友哉(2007)『世界の終わりの終わり』KADOKAWA.
杉井光(2010)『終わる世界のアルバム』アスキーメディアワークス.
谷川流(2005)『絶望系 閉じられた世界』KADOKAWA.
知念実希人(2018)『神のダイスを見上げて』光文社.
つかいまこと(2015)『世界の涯ての夏』早川書房.
津原泰水(2009)『バレエ・メカニック』早川書房.
恒川光太郎(2018)『滅びの園』KADOKAWA.
中村文則(2014)『教団X』集英社.
中村文則(2017)『R帝国』中央公論新社.
似鳥航一(2017)『この終末、ぼくらは100日だけの恋をする』KADOKAWA.
橋本佳典(2005)『終末は君と』日本文学館.
長谷敏司(2001)『戦略拠点32098楽園』KADOKAWA.
一二三スイ(2012)『世界の終わり、素晴らしき日々より』KADOKAWA.
一二三スイ(2013)『世界の終わり、素晴らしき日々より2』KADOKAWA.
一二三スイ(2013)『世界の終わり、素晴らしき日々より3』KADOKAWA.
古橋秀之(1997)『ブラックロッドKADOKAWA.
古橋秀之(2005)『ある日、爆弾がおちてきてKADOKAWA.
柳瀬みちる(2018)『明日、君が花と散っても』KADOKAWA.
山田宗樹(2018)『人類滅亡小説』幻冬舎.
萬屋直人(2008) 『旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。』KADOKAWA.

海外小説
ジョン・ウィンダム(2018)『トリフィド時代 (食人植物の恐怖) 新訳版』中村融訳,東京創元社.
ポール・オースター(1994)『最後のものたちの国で』 柴田元幸訳,白水社.
アンナ・カヴァン(2008)『氷』山田和子訳,バジリコ.
アーサー・C・クラーク他(1975)『破滅の日』福島正実他訳,講談社.
ルフレッド・コッペル(1962)『最終戦争の目撃者』矢野徹訳,早川書房.
ブアレム・サンサル (2017)『2084 世界の終わり』中村佳子訳,河出書房新社.
メアリ・シェリー(2007) 『最後のひとり』 森道子他,英宝社
ネヴィル・シュート(2009)『渚にて 人類最後の日 新版』 佐藤龍雄訳,東京創元社.
オラフ・ステープルドン(2004)『最初で最後の人類』浜口稔訳,国書刊行会.
マーセル・セロー(2012)『極北』村上春樹訳,中央公論新社.
ウラジーミル ソローキン(2015)『ブロの道: 氷三部作1』松下隆志訳,河出書房新社.
ウラジーミル ソローキン(2015)『氷: 氷三部作2』松下隆志訳,河出書房新社.
ウラジーミル ソローキン(2016)『23000: 氷三部作3』松下隆志訳,河出書房新社.
リリー・ブルックス=ダルトン(2018)『世界の終わりの天文台』 佐田千織訳,東京創元社
トマス・M.ディッシュ(1968)『人類皆殺し』深町真理子訳,早川書房.
J.G.バラード(1968)『沈んだ世界』峰岸久訳,東京創元社.
J.G.バラード(1969)『結晶世界』中村保男訳,東京創元社.
ケヴィン・ブロックマイヤー(2008)『終わりの街の終わり』金子ゆき子訳,武田ランダムハウスジャパン.
ウォルター・M・ミラー・ジュニア(1971)『黙示録3174年』吉田誠一訳,東京創元社.
マリオ・バルガス=リョサ(2010)『世界終末戦争』旦敬介訳,新潮社.
フィリップ・ワイリー,エドウィン・バーマー(1998)『地球最後の日』佐藤龍雄訳,東京創元社.

漫画
赤坂アカ『ib-インスタントバレット-』
芦奈野ひとしヨコハマ買い出し紀行
新井英樹『なぎさにて』
大塚英志衣谷遊リヴァイアサン
大家『終末の惑星』
志水アキ『トータスデリバリー』
しりあがり寿 『方舟』
高野千春『終末のマリステラ』
高橋しん最終兵器彼女
つくみず『少女終末旅行
手塚治虫火の鳥
手塚治虫『ブッタ』
堀内厚徳『ベイビー・ワールドエンド 』
道満晴明メランコリア
宮崎駿風の谷のナウシカ
望月峯太郎ドラゴンヘッド
諸星大二郎『未来歳時記バイオの黙示録』
八木ナガハル『無限大の日々』
優『五時間目の戦争』
吉富昭仁『地球の放課後』

参考文献
大木英夫(1970)『終末的考察』中央公論社.
大木英夫(1972)『終末論』紀伊国屋書店.
太田博樹(2018)『遺伝人類学入門』筑摩書房.
太田博樹(2018)『ゲノム編集の光と闇ーチンギスハンのDNAは何を語るか』筑摩書房.
大貫隆(2019)『終末の系譜』筑摩書房.
小川国夫(1998)『聖書と終末論』小沢書店.
小阪修平(1997)『ことばの行方 終末をめぐる思想』芸文社.
五島勉(1984)『ノストラダムスの大予言―迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日』祥伝社.
五島勉(1996)『1999年日本「大予言(ノストラダムス)」からの脱出―終末を覆す』光文社.
五島勉(2015)『ヒトラーの終末予言 側近たちに語った2039年祥伝社.
小林雅一(2016)『ゲノム編集とは何か』講談社.
佐藤敏夫(1991) 『永遠回帰の神話と終末論―人間は歴史に耐えうるか』新教出版社.
斎藤成也(2007)『ゲノム進化入門』共立出版.
斎藤成也(2007)『ゲノムサイエンスーゲノム解読から生命システムの解明へ』講談社.
島田裕巳(2016) 『殺戮の宗教史』東京堂出版.
島田裕巳(2018)『「オウム」は再び現れる』中央公論新社.
高橋 文二 , 広川 勝美他(1996)『終末都市』八幡書店.
野坂昭如(2013)『終末の思想』NHK出版.
山内昌之(1996) 『帝国の終末論―文明と衝突のパラダイム』新潮社.

G・ザウター(2005)『終末論入門』深井智朗他訳,教文館.
アローク・ジャー(2015)『人類滅亡ハンドブック』長束竜二訳,ディスカヴァー・トゥエンティワン.
ジェニファー・ダウドナ、サミュエル・スターンバーグ(2017)『CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見』櫻井祐子訳,文藝春愁.
シッダールタ・ムカジー(2018)『遺伝子‐親密なる人類史‐上下』田中文訳,早川書房.
ジョージ・エルドン・ラッド(2015)『終末論』安黒務訳,いのちのことば社.

『終末の過ごし方 -The world is drawing to an W/end-』制作環境

制作環境

PC 
MOUSE-Book-H570(BTO)intel COREi7-7500U CPU@2.70GHz 2.90GHz

DAW
Cubase10

スピーカー
FOSTEX/PM0.3H

ヘッドホン
YAMAHA/HPH-MT8

オーディオI/F
Steinberg/UR-RT4

マイク
・MXL/V67G-HE
AUDIX/ i5

ギター/ベース
Fender Made in Japan Traditional 69 Telecaster
Fender Made in Japan Jazz Master (配線改造、塗装、キルスイッチ)
Rickenbacker 330/12
YAMAHA RS420
YAMAHA CPX1000
Fender Made in Japan Traditional 60s Jazz Bass

シンセ/鍵盤他
KORG/microKORG
KORG/monologue
KORG/monotron DUO
KORG/KAOSSILATOR PRO+
KORG/ELECTRIBE MX EMX-1SD
YAMAHA/CS1x
YAMAHA/CP-10
YAMAHA/SK-10
・novation/ULTRANOVA
・Clera/MP1000-25K

エフェクター
・BOSS/TU-3
・BOSS/CS-3
・BOSS/BD-2
・BOSS/DD-7
・BOSS/RV-5
・BOSS/PS-6
・PROCO/RAT2
・Electro Harmonix/Small Clone
・ZOOM/MS-70CDR

他機材
・ART Dual MP – Two Channel Tube Preamplifier
・ALESIS 3630 Compressor

ソフト音源
・BFD3(FXpansion)
・SL Drums 3(BeatMaker/フリー)
・HALion Sonic SE(Cubase内蔵/フリー)
・KOMPLETE 12(Native Instruments)
・Orchestral Suite(UVI)
・Atmos(BeatMaker/フリー)
・Keyzone Classic(BitSonic/フリー)
・Sweetcase E.P.(Noiseash/フリー)
・Horror Box(BeatMaker/フリー)
・DEXED(フリー)
・Synth1(フリー)
・OB-Xd(discoDSP/フリー)
・VCV Rack(フリー)
・Padshop(Cubase内蔵)

プラグイン
・Compressor(Cubase内蔵)
・Tube Compressor(Cubase内蔵)
・VComp(WAVES)
・Maximizer(Cubase内蔵)
・Studio EQ(Cubase内蔵)
・Frequency(Cubase内蔵)
・DeEsser(Cubase内蔵)
・Distorsion(Cubase内蔵)
・AmpliTube 4(IK Multimedia)
・Bass Amp Room(Softube)
・Saturation Knob(Softube/フリー)
・La Petite Excite(Fine Cut Bodies/フリー)
・RX7 Standard (iZotope)
・Vocal Synth2(iZotope)
・A1StereoControl(A1Audio/フリー)
・StereoEnhancer(Cubase内蔵)
・Chorus(Cubase内蔵)
・MonoDelay(Cubase内蔵)
・RoomWorks(Cubase内蔵)
・REVerence(Cubase内蔵)
・TSAR-1(Softube)

両翼と神を失っても僕は

 二年続けた職場をこの春に退職することになりました。主な原因は、法外な労働時間、パワハラ上司、人間関係、持病の悪化(ヘルニア、うつ病)です。
この二年それなりに真面目に働いてきたつもりです。でも限界を迎えてしまいました。正直、過去の自分の怠惰が一番の理由だとは思っています(僕は大学を中退し、二年の空白期間があります)しかし、この国はおかしい、緩やかに終わっていくのではないかと思うようになりました。これは、惨めで学のない男のただの愚痴です。ひとまず僕の日本に対する考えを述べていきたいと思います。

・三つの勢力の不可能性
 まず戦後の日本の歴史を振り返り、今の日本がなぜ現状に至ったのか、僕なりに解釈していきます。僕は1994年生まれですから、文献上でしか知りえません。しかし、当時を生きていた人には、どれも衝撃的な事件であり、未だにその傷跡を残し、今の日本の若者の思想を縛る鎖となっていると思います。
 まず日本は第二次世界大戦で大敗をしました。しかも二度の核兵器を落とされて。これにより右翼的思想は、事実上の敗北をします。そして一時的GHQにより日本は様々な政策を強制的に強いられます。しかし、これは一時的にではないのです。今もまだアメリカによる支配が続いています。その象徴として日米合同委員会があります。これは定期的に日本の官僚と在日米軍の密会、密約製造機と呼ばれています。日本がアメリカの操り人形という所以はここにあると思います。
 次にあさま山荘事件です。連合赤軍と名乗る新左翼の組織が起こした事件です。詳細は省きますが、赤軍は目的遂行のためなら、犯罪行為をも厭わない組織でした。これにより、日本人に左翼的思想も危険なものであるという印象を与えてしまいました。これに左翼的運動は沈静化に向かいました。
 この二つの出来事が日本人に政治的思想を公で話すことはタブー視されることになります。政治団体、運動は危険で愚かな行為であると。そしてその空気を吸って育った今の若者は、政治に無関心になってしまったのです。僕は右翼的思想も、左翼的思想もどちらも部分的には理解できるし、どちらも必要な思想だと思います。むしろほとんどの国が、この対立する思想により発展を遂げていきました。共産主義ソ連の崩壊を考えれば明らかですね。今の若者には、思想という翼を失われた。右翼、左翼、政治的思想で自分たちの生活がよくなることはないと。
 最後の勢力は宗教です。宗教も日本人の間でタブー視されることの一つですね。しかし本来、宗教とはある種の信念を共有する集団であり、人は本質的に集団に帰属するものです。だから国教をもつ国は多いですし、ある意味でその国は強いのです。ではなぜ日本では宗教がタブー視されるのか?それは間違いなくオウム真理教という存在です。彼らの起こした数々の凶悪事件によって、宗教は危険であると日本人の意識に埋め込まれてしまいました。これによって今の若者は神をも失いました。

・両翼と神を失った若者の行先
 前章の通り、今の日本人、特に若者は、政治、宗教はタブーであるという空気を浴びて育ちました。僕もその一人です。しかしそれは、社会への無関心という罪とも言えます。僕は、働くまで色んなことに無関心でした。アニメ、小説、映画、音楽いわゆるサブカルチャーという虚構に夢中でした。今の若者のほとんどの人がそうではないでしょうか?『絶望の国の幸福な若者たち』という著作が話題になりましたが、今の若者の幸福はささやかなものです。鳥籠で餌を与えられて喜ぶインコと同じです。しかし、社会に出るといろんな違和感に気づきます。様々な理不尽に突き当たります。これについては人それぞれだと思いますが、僕が許せないのは、昔の負の遺産を僕たちが処理しなくてはいけないことです。前章の三例もそうですが、国の借金を僕ら若者が担い、おそらく僕らの下の世代はもっと大きな負担を強いられるでしょう。今の高齢者、特に政治家は勝ち逃げをすることしか考えていません。
 次に許せないのは、超格差が発生してしまっていることです。『アンダークラス』(橋本健二ちくま新書 2018)によると約930万人の平均収入が186万円であるということです。僕は幸いこの額を上回っていますがそれは、月300時間労働のおかげで時給にすると最低賃金に近いです。
 僕は、自民党が加速させた資本主義自体は否定しません。努力したものがより多くの対価を得ることは正しいと思うからです。しかし、資本主義では努力が対価に結びつくことはイコールではありません。そこには環境や、運が大きく絡みます。その環境と運の分は高所得者から低所得者へ分配するべきだと思います。
 しかし、ただ分配すればよいという訳にいかないのが今の日本です。低所得者の中には、僕のように自分の怠惰で招いた人もいれば、病気や、親族を失って、そうならざるべきを得なかった人もいるでしょう。生活保護申請の複雑さや条件の厳しさを見れば明らかでしょう。本当に助かるべき人が助からず、僕らはそれを見て見ぬふりをしてしまっている。
 ではなぜ、人々はこのような理不尽を見て見ぬふりをしているのか?それは自分のことで精一杯だからです。大学を卒業しても、非正規労働者になってしまう人も多いですし、奨学金の返済、ブラック企業など様々な障害が若者を追い詰めます。しかし、国は家庭を持て、税を収めろと更なる負担を課していくわけです。こんな状況では、他人に、政治に目を向ける余力はありません。これこそが今の政権のやり口です。資本家たちが、資本主義の政治家に票を入れる、貧困に悩む人や若者はそんな余裕がないから他の党に票を入れない/または投票すらしない。最悪のスパイラルです。前述の『アンダークラス』の著者、橋本健二氏は今の日本を変えるにはそのアンダークラスの人々が決起するしかないと著作を締めくくりますが、決起するにはコミュニティと強いリーダーが必要になります。今の若者は虚構ではコミュニティに属していても、現実ではコミュニティに属さない人が多く、また強い責任を担うリーダーは現れないでしょう。なぜなら僕らの世代は、ことなかれ主義の中で育てられてきたのだから。橋本健二氏も決起の必要があるとわかっていても、しないでしょう。彼も勝ち逃げ世代だからです。

・それでも僕は
 このように日本の未来は真っ暗です。それでも僕は明日が欲しいです。明日とは今日より素晴らしい日ではなくてはいけません。右翼、左翼的思想も共感するところはあれど、どちらも不可能性をもっています。右翼は5km頭上の太陽を掴むようなもの、左翼は半径5kmの人間全てを平等に愛するようなものです。だから僕は半径5mの人間だけ全力で愛しましょう。排他的な考えだと思います。でも人はそれぞれ違う半径5mの世界を持っていますし、愛を愛で返す力があると信じています。だからその半径5mの輪は連鎖し広がっていくはずです。無力な僕は今はこれしかできない。でも徹底的に貫きたいと思います。
 僕は、将来的に福祉の仕事に就きたいと思っています。春から通信制の大学で資格取得を目指します。福祉というと高齢者や障がい者に焦点が当てられがちですが、僕は子供たちを支援したい。家庭環境や様々な理由で社会から逸脱せざるを得なかった子供たちの力になりたいのです。僕は僕の世代はもうこの負の連鎖から逃げられないと思っています。それほどに日本は狂ってしまったのです。でも僕は日本が好きだ。だからせめて、次の世代の子供たちに負の遺産を受け継がせてはいけない。そのためには教育など様々な分野の改革が必要になるでしょう。僕は無力です。ただの学のない惨めな男です。でもだからこそできることがあると信じたいです。

誇りと奢り

 長年一つの学問や仕事に携わっていれば、その人の中にそれに対しての誇りが生まれるのは当然だし、それは素敵なことだと思うのだけれども、今は誇りを通り越して奢りになっているのではないかと思う人に囲まれているのが息苦しい。
 
 もちろん人が狩猟生活を止めてから、人の役割は個別に持つようになり、各分野のプロフェッショナルな人がその分野の役割を果たしてきたし、それは理にかなったことだと思う。けれどもだからといってそれを奢ってしまうのはどうなんだろうかと思う。
 例えば、哲学のプロフェッショナルな人がある日、農場で集団生活をしなくなってしまったらどうだろう?そこではその人が積み上げてきた哲学への探求は無効で農業のプロフェッショナルな人に一から教えを請わなくては生活できないだろう。別に人類愛を説きたいわけではないけれど、そうやって人は支えながら生きているのだから。

 何が言いたいかというと結局、単に仕事の愚痴。10月から現場から中間管理に職務が変わったのだけれど、そこの上司やおばちゃんのもの言いや当たりがとてつもなくて辛いという話。確かに彼らにも何十年も同じ職場で働き、誇りがあるとは思うのだけれど。

 これは今のTwitterでも同じことを感じてしまっている。人は個人で全ての分野のプロフェッショナルにはなれない。だから極端な言い方をすれば、人は一生無知で、学び続けなければ生きていけないというのが僕の考えで、それを考えたらTwitterで何かを呟くのも物申すマンを見るのも嫌になってしまった。

 薬の量を限界量まで服薬し続けて二年。一向に減らない。来年からは働きながら通信制大学に通う予定。前の大学の単位を換算できるから2年で卒業出来て、54万の学費。今の貯金は100万ちょっと。正直、今の仕事を今すぐにでも辞めたい。でも今までサボってきた分、この位は頑張らないといけないと思う。

言葉と表現

『執筆しない物書きは、狂気を求める怪物です』 ーフランツ・カフカ

 
 言葉というのは矢にもなるし水にもなる。矢となった言葉は本物の矢と違って、突き刺さって一生抜くことができずに傷となる。水になった言葉は大海へとただ流れていく。大衆という海に消える。


 こんなことをいうのはTwitterが苦痛になったからだ。人のツイートもだけど、自分の言葉を延々と垂れ流せるのが嫌になった。その点、今はこのブログになにかを書く方が気持ちがいい。言葉の積み重ねと言葉の羅列は違う。表現にならない。色んな事を学べば学ぶほど言いたいことは増えるけど、Twitterでそれをするのは危険だ。誤解を招きかねないし、人を不快にする可能性だって大きい。だけれどこのブログに書けば、リンクを踏むというめんどくさい作業により、読む人を厳選できる。僕の言葉と表現を読んでくれる人は、僕に興味がある人か暇人だけになる。だから本心を言える。まだ上手くないけれど僕という人間を表現できる。
 だから僕はそれを歌や文章や絵に出来たらいいと思う。そのための言葉を磨く。それをどう思うかは受け取った人次第で、肯定も否定も求めない。僕は職業として表現者になりたいわけではなく、ライフワークとして行いたいのだ。
 
 
 頭の中とTwitterを連結させない。毎日アウトプットする。こんなことを書いてる時点でまだ未熟だ。究極の理想は、音楽と文学と絵だけで僕という人間を表現することなのかもしれないとふと思った。

 今の職場に就職して10ヵ月。謎の昇進をして残業こそ減らないものの、大方の生活サイクルが確立出来る位には仕事にプライベートが侵されることはだいぶ少なくなった。朝6時に起きて、8時に出勤、18時~22時には退勤。帰宅したら嫁と夕食をとって雑談をして、残りの時間は絵と歌の練習、DTMと読書をしてごくたまに友人と通話して4時に寝る。多分今の自分は幸せなんだと思う。昔に比べれば色んなことが改善されて、今のところお金には困っていない。
 
 だけれども、最近自分が何かをするたびに自分の無力無知や過去の過ちを痛感して焦燥感に駆られる。これも多分いいことなんだと思う。自分を過信しないことに繋がっているし、この気持ちが僕のプライベートの行動を決定づける。
 例えば今練習している絵なんかは、酷過ぎてTwitterで客観的に見て恥を晒しているだけだと思う。でもまたペンを握る。上手くなりたいから。
 今作っているアルバム(作詞作曲編曲は一通り完成している)はここ半年の使える限りの時間全てを使って作った。でも自分の才能とはこんなものかと思う。だから次の作品の為にまた楽器とDAWに向き合う。いい曲を書きたいから。
 本を読むたび一冊につき十冊は読みたい本が増える。なんて自分は無知なんだろうと思う、色んな物語を読みたいと思う。だから今日もページをめくる。

 ふとした時に、この終わりのない旅に迷い込んだ僕は「無」になる。「虚無」ではなく「無」だ。これは多分人間が持つ感情で一番危険な感情だ。だから今日も僕は大量の抗うつ剤を飲んで、愛/憎(これは僕にとって永遠の問題だ)について考えながら上記のことをする。

なぜ、人は世界の終わりを求めるのか?

 「神が存在しないならば、私が神である」-ドストエフスキー『悪霊』

 
 「世界の終わり」という題材はしばしば多くの物語を生み、人々を惹きつけます。2018年も「世界の終わり」を題材とした小説が数多く出版されました。好例をいくつか挙げると、ジュブナイル小説と近未来的村社会小説に世界の終わりを組み込んだ、柳瀬みちる『明日、君が花と散っても』、セカイ系を自己の拡大のみならず、他者の視点からも綴った、恒川光太郎『滅びの園』。数世代に渡り、世界の終わりに立ち向かう人間を書いた、山田宗樹『人類滅亡小説』等でしょうか。
 
 僕自身、世界の終わり/終末モノといわれるジャンルに惹かれ続けてきました。何故これほど人間はこの題材を選び、惹かれるのか?長年の僕の疑問に決着がついたので、まとめようと思います。この結論に至ったのには、終末論と予定説、神の代役という概念が大きく絡むのでそこから考察していきたいと思います。


・終末論と予定説
 
 終末論とは簡単に説明すると、世界最後の日に「最後の審判」が行われ、生前に神を信じ善行を積んだ者は天国に、神を信じず悪行を積んだ者は地獄にという多くの宗教の核となっている思想のことです。
 
 反対に予定説とは、カルヴァン主義の根幹を成す生前の行いは関係なく、選ばれた者だけが天国へ、残された者は地獄へ落ちるという、救済はあらかじめ生まれた時から決定しているという思想です。
 
 後者は、両親から受け継がれた能力と生まれ育った環境が人生を左右する、現在の人間社会の状況に似ていますね。前者も、善悪の概念は切り離して考えると資本主義の思想そのものです。そもそも、世界経済はアダム・スミスの『国富論』による終末論に由来した「(神の)見えざる手」によって動かされています。日本は地理的にも歴史的にも宗教とは無縁と思われがちな国ですが、こう考えると日本という国も宗教から多大なる影響を受けているのです。
 
 この二つの思想は一見、相反する思想ですが、今の世界はこの二つの思想が混ざり合い、出生や環境がその後の人生を決定づけるが、最後の審判の日には個人の生き様が評価され、最後には救済が待っているという一つの神話を生み出しています。しかし、その最後の審判とは一体、いつ起こるのでしょうか?今の日本の状況を見ると、小中学校は基礎学力を蓄え、隣人と仲良くすることを、高校ではより良い大学へ入学する為にに勤勉であることを、大学ではより良い企業に就職する為に自分をいかに立派な人間であるか繕うことを、社会人になるとより良い収入、さらには家庭を持ち、立派な子どもを育て上げることを強要されます。このシステムでは、人生に最後の審判の日は時は、死ぬまで(もしかすると死してなお)訪れず、救済は行われません。このことに対する不満や不安や怒り、そもそもの予定説への不堪が、人々が「世界の終わり」を夢見ることに繋がっているのではないでしょうか。
 
 さらに現代では、上級階層は短時間で高額なお金を稼ぎ、その利益で余計な時間を短縮する道具や人を手に入れます、しかしそうではない人は長時間労働でも低賃金しか得られないので、余暇を与えられず貧困が貧困を呼ぶので、時間の平等も、さらに安楽死技術の発達、孤独死の増加、医療格差により死さえも平等ではありません。だから人々は真に平等な「世界の終わり」を望むのです。人々は「世界の終わり」という本来なら救済であったものを、この格差社会の影響から、平等な破滅として認識し始めています。その認識は神を信じ、自爆テロを行う行為にも似ています。しかし、この不平等な社会で生きる人間なら一度はそんな破滅願望を胸に抱いたことがあるのではないでしょうか?その欲望を満たす装置=フィクションとしての「世界の終わり」が人々の心を満たすのです。


 ※この考えでは僕は資本主義に反対しているように書かれていますが、資本主義自体には賛成です。ソ連や中国や北朝鮮の歴史を紐解いていくと、いかに社会主義が巧妙な罠で張り巡らされた社会であるように思うからです。行き過ぎた社会主義は、ジョージ・オーウェル1984年』のようなディストピアを具現化しかねません。また資本主義の否定は「世界の終わり」の根底を覆します。資本主義は、カール・マルクス資本論』によると、資本主義における借金とは「いつか世界が終わるという前提で成り立ち、ただしそれは今日ではない。という思想の連続である」と解釈されています。


・神の代行役
 
 前項では、神の概念の実在を前提に話を進めてきました。しかし神という概念が不在ならばどうであるのか?という疑問が生まれます。事実、日本人は無宗教国家であるのに対して、多くの「世界の終わり」を題材としたフィクションに溢れています。これはどう解釈すればいいのか?これは神という概念の代わりに「空気」といった日本独特の概念が神の代行役を果たしているのです。

 
 「空気」とは「君は場の空気を読めないね」という時に使われる「空気」です。客観的に考えて間違っていることをその場の「空気」に呑まれ正しいと主張してしまうことは日本の日常生活において多々あります。その「空気」とは一体なにか?それは日本人が美点と考える謙虚さ、忍耐、自己主張の否定といった神話が「空気」を作るのです。
 実際に第二次世界大戦においての日本は「空気」に支配された結果であるといえるでしょう。連合国陣営に枢軸国陣営が勝ち目がないのは明らかだったでしょう。しかし、引くに引けなくなった「空気」が日本を愚かな戦争へ導いたのです。その「空気」は軍法会議で無謀な作戦、神風特攻隊を生み、お国の為にと徴兵されそれを祝福しなければなりませんでした。そしてその「空気」を読めない者は弾圧されます。そうなのです。日本人の「空気」を読むとは神を信仰することに等しいのです。そして、その結果が正に「世界の終わり」に導く兵器=世界初の核兵器投下へとつながり、さらには冷戦へと繋がることになったのです。
 
 ならばその「空気」を支配する力を持てば人は、神にも等しい力=「世界の終わり」を導く権限を得ることになります。従って、神という概念をより身近に、神にも等しい力を経験している日本人は「世界の終わり」に一層、敏感になりその力の虜になるのです。


終末の過ごし方

 ここまでが僕の「なぜ、人は世界の終わりを求めるのか?」という解答になります。この項目では「世界の終わり」を簡単に分類し、具体的な作品名を3作ずつ挙げることで本記事の締めとさせて頂きます。このリストを更に細分化し、数を増やすことが僕のライフワークの一つになるでしょう。


・心地の良い「世界の終わり」
 「世界の終わり」という題材を扱った作品の多くがここに分類されるのではないでしょうか。ブライアン・オールディス『十億年の宴』から引用すると"一握りの生存者を除いてばたばたと人が死ぬ絶望的な状況にもかかわらず、主人公ら生存者たちは遠く離れた安全地帯にいて災厄を傍観していたり、無人の都市で残されたぜいたく品をあさるなどある面で楽しい冒険をしたりし、最終的には自分たちの文明観をもとにささやかなコミュニティを再建して、破滅の起こった原因や文明が滅んだ原因に対して達観した立場から考察を加える"という作品群です。

ジョン・ウィンダム『トリフィド時代』

芦奈野ひとしヨコハマ買い出し紀行

萬屋直人『旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。』


・神話としての「世界の終わり」
 僕の本記事で使用した神話という概念は、「空気」すなわち人の無意識下で人を支配する概念のことです。

・『聖書』

ゲーテ神曲

・ミルトン『失楽園


・人類が生まれ変わる階段としての「世界の終わり」
 人類が次のステップに上る為には、一度「世界の終わり」を迎える必要があるという考えのもと描かれる「世界の終わり」です。これはSFと相性が良く多々題材にされます。

・アーサー・C ・クラーク『幼年期の終わり

ブライアン・オールディス『地球の長い午後』

・似鳥航一『この終末、ぼくらは100日だけの恋をする』


・警告としての「世界の終わり」
 核兵器等、行き過ぎた人類の発展や思想が「世界の終わり」を導くという警告が含まれた作品群です。

・ネヴィル・シュート『渚にて

スタンリー・キューブリック博士の異常な愛情

アンドレイ・タルコフスキーサクリファイス


・世界の定義を個人が認識しうる範囲の世界と置き換えた「世界の終わり』
 このジャンルは一種の「セカイ系」と捉えても良いのではないでしょうか。「セカイ系」の定義についてはまた別途書きたいですね。少なくとも東浩紀による定義には疑問を感じています。 

アンナ・カヴァン『氷』

・ケヴィン・ブロックマイヤー『終わりの街の終わり』

・大塚 英志、衣谷 遊『リヴァイアサン


・愛に溢れた「世界の終わり」
 「世界が終わり」が訪れるからこそ、残された時間が僅かであることが確定した為、人間は本当の愛を見つけるというかなり偏った思想に基づく作品群です。でも僕はこの「世界の終わり」を望んでいるし、信じています。

・市川拓司『こんなにも優しい世界の終わり』

・一二三スイ『世界の終わり、素晴らしき日々より』

大槻涼樹終末の過ごし方 -The world is drawing to an W/end-』



・主な参考文献


『聖書新共同訳』日本聖書協会 、1996
宗教多元主義 増補新版』ジョン・ヒック、間瀬啓充訳、法蔵館、2008
『世紀末―神々の終末文書』草野巧、新紀元社、1997
『J・カルヴァン キリスト教綱要』ジャン・カルヴァン 、 久米あつみ訳、教文館、2000
国富論アダム・スミス山岡洋一 訳、日本経済新聞社出版局、2007
『資本主義・社会主義・民主主義』J.A. シュムペーター中山伊知郎訳他、東洋経済新報社、1995
『サピエンス全史』ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳、河出書房新社、2016
ヒトラーの終末予言 側近に語った2039年五島勉祥伝社、2015
『銃・病原菌・鉄』ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰訳、草思社、2000
『憎悪と愛の哲学』大澤真幸KADOKAWA、2017
国家神道と日本人』島蘭進、岩波書店、2010
『世界が終わる夢を見る』亀山郁夫丸善出版、2015
『戦後入門』加藤典洋筑摩書房、2015
『十億年の宴』ブライアン・オールディス浅倉久志訳他、東京創元社、1980