言葉と表現

『執筆しない物書きは、狂気を求める怪物です』 ーフランツ・カフカ

 
 言葉というのは矢にもなるし水にもなる。矢となった言葉は本物の矢と違って、突き刺さって一生抜くことができずに傷となる。水になった言葉は大海へとただ流れていく。大衆という海に消える。


 こんなことをいうのはTwitterが苦痛になったからだ。人のツイートもだけど、自分の言葉を延々と垂れ流せるのが嫌になった。その点、今はこのブログになにかを書く方が気持ちがいい。言葉の積み重ねと言葉の羅列は違う。表現にならない。色んな事を学べば学ぶほど言いたいことは増えるけど、Twitterでそれをするのは危険だ。誤解を招きかねないし、人を不快にする可能性だって大きい。だけれどこのブログに書けば、リンクを踏むというめんどくさい作業により、読む人を厳選できる。僕の言葉と表現を読んでくれる人は、僕に興味がある人か暇人だけになる。だから本心を言える。まだ上手くないけれど僕という人間を表現できる。
 だから僕はそれを歌や文章や絵に出来たらいいと思う。そのための言葉を磨く。それをどう思うかは受け取った人次第で、肯定も否定も求めない。僕は職業として表現者になりたいわけではなく、ライフワークとして行いたいのだ。
 
 
 頭の中とTwitterを連結させない。毎日アウトプットする。こんなことを書いてる時点でまだ未熟だ。究極の理想は、音楽と文学と絵だけで僕という人間を表現することなのかもしれないとふと思った。